未来の車








アメリカという合理・過密な車社会で考える「未来の車」とは。

日本にいた時とは、自分の発想が変わってきたのを自覚している。


@一人一台、誰でも実用する (他の交通手段がない、車がないと生活できない)

A走れればいい (車検はない、事故車も多い)

B安全と収入が車種に反映 (普通にスピード出てるから事故った時、小さく弱い車ほど致死率高い)


未来の車1


異質なものを肌で感じていた。

仮にアメリカの地で「未来の車」とは?と人々に尋ねてみた時、「興味がない」と一蹴されるのではないか。

日本の都市部で空想遊びされる「未来の車」談義の精神は、カケラほどもアメリカに及んでいない気がする。


「一回の給油でもっと距離を走れる車 (燃費というより燃料タンクの大型化)」

「大雨、雪、霧、動物や車との衝突にもっと自分の身を守ってくれる車」

「同品質で単純に価格だけ安くなる車」


未来の車2


こんなシンプルな願いがアメリカでの「未来の車」なのではないかと推測した今の私。

少なくとも最先端技術を突き詰めた話ではない。


実用的なもの、現実味のある小改善

未来の車社会アメリカで求められているのがそれだとしたら、

輝かしいものを未来の車に投影させていた私のイメージは、灰となって消えて失せても良い。